社会問題の時事コメント5

前回は「子供のペット化」について書きましたが、今回は、

   「核家族について書いて行こうと思います。

 

 なぜ核家族化をテーマに選んだかと言うと、前回の「子供のペット化」や「人口減少・少子化」の原因の一つに世帯構成の変化が関係しているのではないかと考えたからです。 

http://www.soumu.go.jp/main_content/000452791.pdf

 総務省の統計によると、親族世帯数に占める核家族世帯数の比率は20世紀からすでに上昇傾向にあり、2000年には81.1%、2015年には85.4%と、非常に多くの世帯が核家族化しているのがわかる。ちなみに将来推計も出ており、2035年には89.0%と、約9割が核家族世帯になると予測されている。

 

 さて、核家族化がどうやって「人口減少・少子化」や「子供のペット化」につながると考えたのか。

 

 まず、夫婦が共働きの場合を考える。

 その場合、子供を産むと、勤務中は面倒を見れない。働き方改革や育児休暇の多様化によって緩和されつつあるが、夫婦の心理としては、躊躇するのは必至であろう。

 昔であれば、夫婦がいない時間帯は家族の他の人員や隣人が面倒を見ることもできたであろうが、最近では近所でのコミュニティ意識が希薄しているように思われ、他者への信用が比較的低下していると思われる。

 

 また、子供が自立すればその世帯には夫婦のみが残され、その寂しさを避けるため、こどもを引き留めるために自分たちがすべての面倒を見て、自立を抑制させるという潜在意識が働くのではないだろうか。

 

 いま述べた二つのことは、世帯構成が多様化することで解決されるように思える。子供に目を掛ける者が多ければ、1人当たりの子育ての負担が減るし、抑制な育て方を客観的に捉えて注意することで、子育ての質を高めることにもつながる。

 

 子供にとっても、より多くの人間と接することは、長期的に見れば思考の多様化につながり、社会性を獲得していくうえで良い刺激になるのではないか。

 

 いま書いていて思ったことだが、核家族化が進行していても、家族以外の人間が家族と同様に関わり合えば、これらの問題は快方に向かうのではないか。そんなことを言ってしまっては、家族の境界線があいまいになり、「家族」という言葉を再定義しなければならなくなる。

 

 だが、時代の変遷とともに、家族の意味を考え直すことは非常に意義のあることだと思う。昔の考え方をそのまま使うのではなく、その時代に合った形で家族を意義を変えていけば、少なくとも、居心地のいい社会集団の1つとしての「家族」は、どの時代においても存在し得るのではないだろうか。

 

 

 というわけで、今回はここまでにしておきます。次回のテーマは「地方」です!詳しくは、次回のお楽しみと言うことで!