社会問題の時事コメント2

 前回は、「人口減少・少子化について自分の考えを述べたが、

 今回は、「勉強」について述べていこうと思う。

 

 突然ですが、皆さんは「勉強」と聞いて何をイメージするだろうか?

 

  「椅子に座って、教師の話を聞くこと」

  「教科書の内容をひたすらノートにまとめること」

  「たまに行われるテストに合格するために行う作業」

 

 皆さんの中には、上に挙げたようなことをイメージする人が大半ではないだろうか?

 しかし、それらは勉強のほんの一部でしかない。

広辞苑第六版によると、勉強とは、

①「精を出してつとめること。」

②「学問や技術を学ぶこと。」

③「商品をやすく売ること。」

 と、載っている。

 

 皆さんのイメージに最も近いのは、②であろうか。しかし、ほかの2つも考慮に入れると、単に座学のみが勉強ではないことは明白である。

 

 最近、「アクティブラーニング」や「フィールドワーク」、「ワークショップ」などの活動を取り入れる教育が増えてきたように思うが、そもそも勉強とはそういうものであり、我々が固定観念に縛られていただけなのである。

 

 しかし、特に10代前半の学生には、その固定観念がびっしりと根を張っているように思えてならない。私も、それくらいの年齢の学生と触れ合う機会があるのだが、「勉強は、特定の機関に所属するか、教師や専門家から教えてもらうしかない」と思い込んでしまっている学生が殆どのように感じる。実際は、日々生活する中で、疑問に思ったことを自分で調べるだけでも十分勉強の定義に入ると思うのだが、そのようなことに意識を向けている者は少ないように思える。

 

 恥ずかしながら、私も昔は彼らと同じように勉強というものを捉えていたが、今では少し後悔している。昔はもっと時間があったのだから、より多くのことに興味を持ち、自分で調べていたら、もっと自分の思考も豊かになったであろうに、と。

 

 これは、私の経験則からの意見なので、明確な根拠があるわけではないが、もし今この記事を読んでいる学生や学生を子にもつ親がいれば、勉強の再定義をしてほしいと思う。

 先ほど、広辞苑から引用したものを書いたが、人によって勉強のイメージは多種多様であるのが事実である。しかし、本当にそのイメージが自分に合っているのか、矛盾を感じていないか、そういったことに一度思考を巡らせてほしい。そうすれば、勉強に対する考え方が変わり、価値観も変わることだろう。実際、私もそうだったからである。